Hoomeeの人生日記

凡人代表の私が日々成長する話。

味がするって幸せなんだな

コロナになった。なんで今!!!

コロナに一生かからないと思っていたが、とうとうかかった。「この喉の痛みは、一時的でしょ〜ありえないありえない」なんて思っていたが、翌日の朝には「コロナだ」と自己診断していた。喉の痛みが別格な気がした。まだ検査にも行っていないその日の朝、受け入れてしまった。検査したらやっっっぱりコロナだった。

 

コロナは、ワクチンの延長みたいだった。当たり前だけど。ワクチンは1日でしんどさが引くものの、コロナはそれがずっと、なのがしんどかった。さらに悲劇は起こった。コロナにかかってから3日目の朝だった。

起きる。ポカリを飲む。美味しい。さて、朝ごはんでも食べようか。うどんなら食べれる。釜玉にしよう。しょうゆをかけて。さ、いただきます。ずるっ。まず!!!!!!!!!!!!!!!!

ん。不味いのではない。え。味が、しない...。いきなり。

そこでやっと思い出した。そうだ、コロナは喉だけじゃない。味覚までやられるんだった。

そこからはもう何を食べても意味がないじゃないかと、冷蔵庫にある美味しいものを視覚だけで楽しむ日々が続いた。大好きなカフェラテも、この死んだ味覚で飲むなんて意味がない、もったいない、と冷蔵庫で眠らせている。他の食べ物もそうだ。どんなものも意味がなく思えてくる。コロナで断トツ辛かった症状は、熱で震えることでも喉が痛くなることでもない。味覚が死んだことだ。間違いない。

職場に復帰してもその悲劇は続く。何を食べても意味がないという感覚。ただ動くためのエネルギーを補給するロボットの如く米を食べる。いつもはふりかけをかけているが、とうとう自暴自棄になりただの白米を持参する新卒社員と成り果てた。

白米社員になったその日の夕方、これまた小腹に何か入れようとアーモンドをカリカリする。素焼きのアーモンドが香ばしいということだけはわかる。変な皮みたいなのが喉につっかえて咳込み、周りからコロナの咳じゃないかと誤解される。申し訳ない。

そんなときだった。職場の方が私を笑わせ、アーモンドがいきなり口の中に現れた気がした。

突如として現れたその感覚に変な興奮を覚え、「味が...あじがします!!!!!」と職場で🫢😳🫢😳というリアクションを繰り返した。すごい、素朴なアーモンドの味でさえ天下の逸品とも思えるような感動を覚えた。

 

そこで思った。今まで適当にご飯を食べすぎていたのではないかと。現代人は何かと急いでいるし、ご飯を食べる時も画面を見ながら食べる人が多い気がする。私は特にその部類にいる。

コロナになって味を感じることがどれだけ幸せなことなのかを知った。私は30%ほどしか味覚が回復していないこの舌で、毎回死ぬほど味わって食べている。この、想像していた味がするという幸せがどれほどのものかを思い知った。

 

コロナにはかかりたくなかったが、当たり前が当たり前ではなくなることの辛さを教えてくれてよかったなと思う。こりゃまた真面目なブログの締めとなってしまった。

 

ーおまけー

味覚が地味に復活しかけて勢いよく頼んだしらす丼。30%くらいしか味を感じなくて内心しょげていた。でも大根おろしを口に入れた時だけ味覚が50%復活したような感覚になる。なぜだ。

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