Hoomeeの人生日記

凡人代表の私が日々成長する話。

生徒が忘れてても、先生が覚えている

4年ぶりに、母校の校門をくぐった。なつかしい~、といった感じではなく、なぜか、しっくりくる感覚だった。不思議だった。3年間も同じ場所を通っていれば、4年ぶりに足を踏み入れてもこんなにしっくり感じてしまうものなのだろうか。

 

実は、ずっと高校の先生に挨拶がしたいと思っていた。あまり多くは語れないけど、高校のある時期、ものすごく先生たちにご迷惑とご心配をかけた時期があった。でも、大学では悔いなく楽しく、まるであの高校の一時が嘘みたいに素晴らしい時間を過ごせた。本当に、それをずっと伝えたかった。

そう思っていたものの、なかなか行けなかった母校。でも、少し前の休みで急にタイミングが生まれて、この前、やっと、会えた。

先生たちは、変わっていなかった。あの話し方、表情、癖。愛おしく思えた。

大学での私のハナシ、これからこんな仕事をするんだという報告、すべて噛みしめ、嬉しそうに聞いてくれた。先生は「こうやって卒業生の話を報告を聞くために仕事をしているといっても良い。それくらい嬉しい、元気が出た」と言ってくれた。泣きそうだった。

そして、現在と未来のハナシに花が咲いたあとは、高校の時のハナシになった。その時に驚きだったのは、自分が覚えていないことを先生たちは鮮明に覚えている、ということ。正直、自分の名前でさえ覚えているかどうか、わからなかった。のに、先生は私が〇月の模試から成績が伸び始めた、とかそういうことを覚えている。自分がスケジュールをギチギチと手帳に書き込んでいたこと、それを友達にからかわれてた、とかそういうのも覚えている。

お父さんから聞いていた通りだった。「先生たちはものすごく覚えているんだ、だから会ってきた方がいい」と。本当だったよ。

たった2時間という時間で、私も元気と勇気をもらった。「あの時はご迷惑をおかけしました。だけど今はこんな風に生きている、楽しいです、なので安心してください」と報告できることがどれだけ幸せなことか。そして、同じ社会人として共感しながらお話できるのが、何より嬉しく、何より自分自身を誇らしく思えた瞬間だった。

 

過去のある時期、その時期は辛かったし嫌なこともあった。けど、こんなふうに「あんな時もあったね」と話せること。人生はこの繰り返しなのかもしれない、と、かつての通学路を車で運転しながら考えていた。